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マルティン・ルター(岩波新書) [読書メモ]

徳善義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』.JPG徳善義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』(岩波新書1372)、岩波書店、2012年、183頁、720円+税。

これまでは、日本人による、簡便で、読みやすく確かな評伝は、清水書院の人と思想シリーズの『ルター』しかなかったが、ついに、現代の日本におけるルター研究の第一人者によるルター評伝の決定版が出た。



読んでみて、わたしなりのメモ。

「神の義」における「行為者の属格」用法
「神は「義(正しさ)」を、イエス・キリストというかたちで、罪深き人間への「贈り物」として与える。その結果、「義」はそれを贈られた人間の所有するものとなり、人間は救われる。」
(p.39-40)


十字架の神学
「ハイデルベルク討論」(1518年)において掲げられた「神学的命題は、次の四つをもってルターの「十字架の神学」の核心を示している点で重要である。
一、律法とそれにもとづく人間の行いによっては、人間は救われないこと。
二、罪に墜ちた後の人間の自由意志とは名ばかりであって、これによるかぎり、人間は罪を犯すほかはないこと。
三、神の恵みを得るには、人間は自己自身に徹底的に絶望するしかないこと。
四、神の救いの啓示は、キリストの十字架によってのみ与えられること。」
(p.59-60)


悔い改めと福音
「イエスが「悔い改めなさい」と言ったのは、自分たち人間に日々時々刻々、悔い改めを望んでいるからだ・・・。心の中の本当の悔い改めがなければ、どれほど一生懸命に罪の償いを果たしても無駄である。・・・教会の行いは、ただ神の御心にのみ添うものであって、人間の我欲や利得とは一切関わりをもたないもののはずである。「教会の宝」とはひとえに、聖書の中に示されるイエス・キリストのことばと働き、すなわち福音ではないのか。」
(p.67-68)


破門の大教勅
1521年1月3日、
「教皇からついに破門の大教勅が発せられた。この破門の大教勅は、二一世紀の現代に至るも、いまだ解かれていない。」
(p.83)


ヨーロッパの近代とルター
「ヨーロッパの近代は、思想的には、個人の人格、主体性、信念や信条を尊重することを基本に発展したが、ルターのこの発言〔1521年のウォルムス議会での喚問に対する答え〕はその先駆けとなった・・・。」
(p.85)


「大胆に罪を犯しなさい」の文脈
〔メランヒトンへの手紙の中で〕
「あなたが恵みの説教者であれば、作り物の恵みではなく、本物の恵みを説教しなさい。もしそれが本物の恵みであれば、作り物の罪ではなく本物の罪を負いなさい。神は作り物の罪人を救われはしない。罪人でありなさい。大胆に罪を犯しなさい。しかし、もっと大胆にキリストを信じ、喜びなさい。」
 ともすると、「大胆に罪を犯しなさい」という言葉だけが独り歩きし、誤解されることがあるが、これは決して罪を犯すことを奨めているわけではない。私たち人間は罪を犯さざるをえない存在である。それは認めなくてはならない。しかし、それ以上に、キリストが共にいることの救いに感謝すべきであるという趣旨を言っている。」
(p.94)


民衆の魂の救いのために
「九五箇条の提題でルターが聖職者や神学者たちに問いかけ、訴えようとしていたことは、単なる教会批判ではなく、民衆の魂の救いのためには何が必要かということであった。」
(p.68)

「ルターが指摘し、批判したのは、教会組織や聖職者たちの堕落や腐敗そのものではない。・・・ルターは教会の教えが民衆を誤った信仰に導いていることに強い憤りを感じていた。」
(p.121-122)


リフォームではなくリフォーメイション
「リフォーメイションを日本語にするならば、やや生硬な表現だが、「再形成化」という言葉がふさわしいのではないか・・・。すなわち、それまでキリスト教的一体世界であった西欧が、ルターの始めた運動をきっかけにして細分化し、キリスト教世界であることに変わりないものの、従来のあり方とはまったく別の、多様なキリスト教世界に再形成された、ということである。」
(p.116-117)

「ルターの宗教改革が、たんに教会の堕落を正すのを目的としていたなら、それは文字どおり「改革(リフォーム)」であり、「リフォーメイション」と呼ばれることはなかったであろう。それが「改革」を超えて、歴史を画するものにまでなったのは、人びとの信仰のあり方を根本的に変えるものだったからである。ルターが、あらゆる苦難と困難を乗り越えて成し遂げようとしていたのは、人びとの魂を支える「信仰の再形成」だったのである。」
(p.122)


ルターは歴史上はじめて賛美歌を作った
「礼拝改革を進めるなか、ドイツ語による説教につづいてルターが導入したいと考えたのは、民衆が歌うドイツ語の賛美歌であった。中世の伝統的な聖歌ではやはり、もっぱらラテン語が使われていた。礼拝に際して歌う典礼歌や教会賛歌は形式が厳格に整えられ、教会に所属する音楽家や聖歌隊が歌うものであった。・・・ルターはそれを改め、普段つかうドイツ語で歌うことを通して、民衆を礼拝に参加させようと試みた。」
(p.141)

「民衆が歌う賛美歌は、やがて「コラール」と呼ばれるようになっていった。」
(p.143)