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マルコのサンドイッチ [聖書と釈義]


マルコによる福音書の特徴のひとつとして、「サンドイッチ構造」が随所に見られることは、よく知られている。

「たとえば彼は、一つの物語を二つに割って、その間に他の伝承をおき、そこに時間の流れを示すという手法をよくとるのであるが、5:25-34とその前後、などに見られるいわばサンドウィッチ式の手法は・・・」
橋本滋男「共観福音書」、
『総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、1981年、p.115。


1.もうちょっと学問的な言い方はないのか


『新版 総説 新約聖書』では、「挿入法intercalation」という言葉が紹介されている。
廣石望「マルコによる福音書」、
『新版 総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、2003年、p.74。


その箇所で注に挙げられている文献:
James R. Edwards, "Markan Sandwiches: The Significance of Interpolations in Markan Narratives," Novum Testamentum XXXI, 3 (1989) pp.193-216.(リンクはpdf)

この文献を見てみると
  • サンドイッチという言葉がそのまま論文のタイトルに使われている
  • intercalationとかinterpolationとかinsertionとかframingとか、いろいろな言い方が使われているようだ。

framing(枠付け、囲い込み法、囲い構造など)以外はみな日本語にすると「挿入法」か。

というわけで、「挿入法」という用語もあるが、「サンドイッチ構造」と言っても学問的に全然問題なさそうだ。

「学問的文献ではこのような語り方に対して「サンドウィッチ」物語という語を見い出した人たちもいる。」
C.J.デン・ヘイヤール(伊藤勝啓訳)『マルコによる福音書I』
(コンパクト聖書注解)、
教文館、1996年、p.153。


2.いつ頃から?


Edwardsは、sandwich techniqueという言い方についての、たぶん代表的な文献を挙げているが、その中で一番古いのは、
Earnest Best, "The Temptation and the Passion: the Markan Soteriology," SNTSMS 2; Cambridge: The University Press, 1965.
である。

別に、E.Bestが最初に言い出したというわけではないだろう。

しかし、このあたりから、学術的な文章の中でも「サンドイッチ」という言葉が使われるようになっていったのだろうか。

ちなみに、アーネスト・ベストは、「現代聖書注解」の第二コリントを書いている(山田耕太訳、1989年)。


3.サンドイッチ構造が見られる箇所


一般的には、次の5箇所が挙げられる:
3:20-35、5:21-43、6:7-30、11:12-21、14:1-11。
(Edward, p.203。
『説教黙想アレテイア マルコによる福音書』、
日本基督教団出版局、2010年、p.154。)


(1)Edwards

Edwards はさらに、4:1-20、14:17-31、14:53-72、15:40-16:8の4箇所を加えている。

しかし、4:1-20では、1-9節の種を蒔く人のたとえの語りが中断している感じはなく、時間的にも10節で「イエスがひとりになられたとき」と、少し隔たっている。

14:17-31も、最初はユダの裏切り、最後はペトロの離反であって、サンドイッチのパンの種類が上と下で異なる。

14:53-72は、確かに、54節のペトロが大祭司の屋敷の中庭まで入ってきたことが66節以降に続くが、54節は事態がまだ始まっておらず、状況設定の段階であるので、むしろ、伏線に過ぎない。

15:40以降では、40節で婦人たちが遠くから見守っていたことが、イエスの埋葬後も、47節で婦人たちが墓を見つめていたことにつながっているが、ヨセフによるイエスの埋葬によって事態が大きく変化したわけではなく、変わらない。むしろ、このことが16章につながっていくので、15:40-41、47は、16章への伏線と見た方がよい。 

(2)川島貞雄

川島貞雄は、他に、2:1-12、7:1-23を挙げている。
あるいは、「なお、4:1-20、7:1-23、8:1-21参照」と記している。
川島貞雄『マルコによる福音書――十字架への道イエス』
(福音書のイエス・キリスト2)、
日本基督教団出版局、1996年、p.86,111。


2:1-12は、律法学者が心の中でイエスを非難したことによって、中風の人の癒しが中断される。これによって、中風の人を連れてきた四人の男の信仰を見たことによって癒しがなされることに加えて、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることが明確に示される。したがって、この箇所は「サンドイッチ構造」と言ってよさそうだ。

4:1-20は(1)で述べた。

7:1-23は、手を洗わないで食事をすることの話題が、まず、人間の言い伝えの問題として捉えられ、続いて、食物規定の問題に変わっていく。それゆえサンドイッチ構造ではない。

8:1-21では、四千人の供食の話はひとまず一件落着しており、14節以降は、別な機会にパンを一つしか持ち合わせていない話と、五千人の供食と四千人の供食の経験の両方の想起であるので、これもいわゆるサンドイッチ構造とは言い難い。

(3)廣石望

廣石は、6:32~8:10も、二つの供食奇跡の間に、清浄規定論争を含むイエスの異邦人への働きに関する諸エピソードが配置されていると見ている。

廣石はさらに、14:3以降の受難物語全体が、イエスに従い仕える女性たちのエピソードに枠づけられて、男性の弟子たちがイエスを裏切り見捨てる話が置かれていると見る。
『新版 総説 新約聖書』p.75。

しかし、6:32~8:10も14:3~16:8も、具が分厚く何段もの層をなしているアメリカン・バーガーなので、いっぺんには口に入らず、崩して食べるしかない。

(4)結 論

結局、サンドイッチ構造としては、一般的に言われる5箇所:
  • 3:20-35(イエスの身内とベルゼブル論争)
  • 5:21-43(ヤイロの娘と長血の女)
  • 6:7-30(弟子の派遣と洗礼者ヨハネ殺害)
  • 11:12-21(いちじくの木と宮清め)
  • 14:1-11(イエス殺害計画とナルドの香油)
に、
  • 2:1-12(中風の人のいやしと律法学者の非難)
を加えた6箇所を挙げるのがよい。

4.サンドイッチの味わい方


「実際のサンドウィッチでも、挟んでいる両側のパンと、挟まれている具とは一体である。好き好きだから、バラバラにして食べてももちろん構わないが、製作者の意図に従えば、一体として食すのが前提である。パンと具の間に調和があったり、緊張があったりする。バラバラにして食べたときには味わえない味を、一体として食べて味わうのである。」
徳善義和「マルコによる福音書 五章二一~四三節」、
『説教黙想アレテイア マルコによる福音書』、日本基督教団出版局、2010年、p.154。


5.「サンドイッチ」か「サンドウィッチ」か


わたしの周りにある辞書の見出しに載っているのは基本、「サンドイッチ」のようだ。

まあ、「マルチン・ルター」と「マルティン・ルター」との違いと同じようなものか。