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『ミニストリー』の八木谷(3) [伝道]

 キリスト新聞社の季刊誌『ミニストリー』に連載されていた、八木谷涼子の「新来者が行く ノンクリスチャン・八木谷涼子の教会ウォッチ」の、わたしの関心からの総まとめ、その3。

 八木谷涼子のサイト「くりホン キリスト教教派の森」の中の「「万年教会新来者」の声」のページも参照。雑誌の記事以上のことが書かれている。


 八木谷さんの指摘なのか、わたしのコメントなのか区別が付かなくなりそうなので、一応、記事の引用や指摘されている点をわたしなりに言い換えた紹介は「八」、わたしのコメントは「私」と記してみた。

ミニストリーvol.3(2009秋)
「はじめて礼拝に出たとき」
 八:「新来者カード」について、郵便による案内を希望する人のみ住所を残していけるシステムがあれば十分じゃないでしょうか。
 八:礼拝後の紹介タイムはプロテスタント名物といえる。その日はじめて訪れた人にとっては緊張の瞬間。新来者カードに、礼拝の最後に紹介していいか、それとも遠慮したいかという項目があって自分で選べると、上がり症の人は救われる。

 私:うちの教会の「新来会者カード」には下の方に、「郵便物をお送りしてよろしいでしょうか。 はい・いいえ」という欄があります。住所を記入していながら、これに「いいえ」と答える人がいないとも限らないですね。教会としては、「いいえ」にマルがついていれば郵便物を送ることはしませんが、住所が記されていると、地域別の集いなどのときに、声をおかけしてお誘いしやすいということあります。(「地域別の集い」はうちの教会ではまだ模索中ですが)

 私:そもそも教会は、何でわざわざ、「新来会者カード」を書いていただいて紹介するのだろうか。世間一般の感覚からすると、匿名でちょっと見学するくらいでもいいじゃんという感じかもしれない。けれど、プロテスタント教会としては特に、ここは「神の家族」だし、個々人ばらばらで礼拝しているのではなくて、「神の民」として礼拝している、しかも一人ひとりが没個性的に扱われるのではなく、一人ひとりの名を持った人格が尊重されているのだから、ということか。ホームパーティに招待されて来た人をみんなに紹介するのはあたりまえという感じでしょうか。もっとも、教会員一人ひとりが新しく来た人をウエルカムする雰囲気をつくり上げることが大切でしょう。

 私:さて、整理すると、まず、「新来会者カード」に書いていただくときに、「可能な範囲でお書きください」とか「差し支えない範囲でご記入ください」などと一言添えるようにしたいです。カードそのものにもその旨が記されていると良い。
 私:それから、指摘されているように「礼拝後にご紹介してよろしいでしょうか。はい・いいえ」という項目もあるとよい。
 私:そして、紹介するときも、本人にしゃべらせるのではなく、「差し支えなければ、その場でちょっとお立ちいただければと思います。」と前置きしてから、「何々市からお越しのマルマルさん。」・・・「よくいらっしゃいました。ありがとうございます。どうぞまたいらっしゃってください。」(拍手)という程度にする。(これだけはすでに実施済)
 私:そして、礼拝がすべて終わって立ち上がるときに、まわりの教会員が自然に、「よくいらっしゃいましたね」「続けていらしてね」とさりげなく声を掛ける。せっかく紹介の時に拍手しても、その後のさりげない声掛けがなかったら、先ほどの拍手もまったく白々しくなってしまう。

「座席の問題」
 八:後ろと左右の端は、早々に教会員で占められる場合が多い。空いている席は新来者が好んで座りたいと思えるような場所ではない。
 八:いつの間にか特定の人が座る習慣になっている座席がある。でも、新来者にはわかりません。
 八:みんな自主的に来ているはずの教会で、なぜ後の席が人気なのか。

 私:「礼拝堂の後方の座席は、新来会者のために空けておくように」と牧師が何度言っても、後ろから席が埋まっていったりします。ある教会ではロープを張って、教会員が座らないようにしていたり。
 私:いつもと違う席に座ると礼拝の心が乱れるというのも、問題ですね。わたしたちはいつも同じ座席に座って安心するのではなく、キリストの救いの恵みから平安をいただくのです。
 私:最前列から座席が埋まっていくような、魅力ある礼拝を工夫し、人々も期待を持って集まってくる、そういう礼拝を目指すことも、重要でしょう。
 私:それにしても、初めて来られた方を、緊張を強いるような座席に座らせるようなことは、何としても避けたいと思います。しかし、それには教会員の協力というか意識改革が必要だ。