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リンドバーグ『キリスト教史』 [読書メモ]

リンドバーグ『キリスト教史』コンパクトヒストリーC.リンドバーグ(木寺廉太訳)、『キリスト教史』(コンパクト・ヒストリー)、教文館、2007年(原著2006年)、297+35頁、2000円+税。

わずか300ページ弱でキリスト教の歴史全体をざっと、しかし要所要所を押さえながら、見通す。初心者向けではなく、伝統とはとか教理とはといった議論を挟みつつ、また、敬虔主義と啓蒙主義についてまるまる1章を割いて語るなどから、欧米の教養人向けという感じ。


目 次

第1章 記憶すべき責任――キリスト教史学方法論序説

第2章 祈りの法は信仰の法

第3章 兄弟喧嘩――異端信仰、正統信仰、公会議

第4章 天上の国――アウグスティヌスによる聖書の宗教とヘレニズムの総合

第5章 中世キリスト教の展開

第6章 知解を求める信仰――アンセルムス、アベラルドゥス、初期スコラ学

第7章 中世教会

第8章 十六世紀の宗教改革

第9章 敬虔主義と啓蒙主義

第10章 挑戦と応答――十九世紀の教会

第11章 第一次世界大戦以降のキリスト教会

補遺――キリスト教の歴史記述
pp.271~280。古代、中世、近代という時代区分をめぐって。


用語解説

読書の手引
おそらくFurther Readingで、ほとんど英語圏のもの(邦訳のあるものは邦題等も記されているが)。


索引
日本語だけでなく英語表記も添えてあって親切。




読んでみて、わたしなりのメモ。

●伝統と信仰
「伝統とは死んだ者の生きた信仰のことであり、伝統主義とは生きている者の死んだ信仰のことである。」
(ペリカン(鈴木浩訳)『キリスト教の伝統――教理発展の歴史 第1巻 公同的伝統の出現(100-600年)』教文館、2006年、45頁からの引用)
(p.20)


●記念によって過去を現在化する伝統
イエスが死の前夜に弟子たちとなさった食事は、「わたしの記念として(憶えつつ)」なされ続ける。この「記念して行うこと」は、そのひな形を出エジプトの記念としての過越祭の中にもっている。すべての参加者が、伝えられたものを記念することによって出来事の同時代人となるように、過去の出来事が現在化される。伝統とは、過去に固定されず、過去を現在化することによって新たな未来に対して意義をもつものである。
(p.21)


●信仰告白の歴史的相対性
「諸信仰告白の形態は、・・・特定の時代の言語・概念・文化を表し、当時の教会のもっとも強い関心事であった問題や論点も表していた。・・・それ故、教会が信じ教え告白することは、無時間的な真実の集成ではなくて、教会の確信の歴史的な表現である。」
(pp.41~42)


●歴史の中で繰り返されるドナトゥス主義
ドナトゥス主義は、聖職者の道徳的な面での聖性に強く関心をもった運動だったので、同様な考え方は教会史の中で、グレゴリウス改革(11世紀)、宗教改革急進派(16世紀)、近代のカリスマ運動のような信仰復興運動との関わりにおいて、絶えず現れてきた。
(p.79)


●シュペーナーの敬虔主義と万人祭司性
シュペーナーは、敬虔な人々の養成をとおして教会を改革しようとした。なかんずく彼は、万人祭司性の復活と教会における信徒の活動の自由とを求めた。信徒は共同の聖書研究のために牧師と一緒に集まる機会をもつべきであり、また、彼らは説教と牧会の客体ではなく、キリスト教的実践に携わる主体となるべきである。そのために、信徒が聖書全体を瞑想することが奨励された。
(p.200あたりのことをだいぶ言い換えた)


●敬虔主義と啓蒙主義
啓蒙主義は、敬虔主義が強調したいくつかの点を受け継いだ。すなわち、個人の経験に根ざした宗教への人間中心的な態度、より良い未来を志向する態度、教育を通して教え込まれうる道徳性への関心である。
(p.207)


●バルメン宣言とシュトゥットガルト宣言
「バルメン宣言は教会とその信仰告白のアイデンティティにとって記憶と歴史がいかに重要であるかを証言した。バルメン宣言の主要な起草者であるバルトは、宣言本文の明白な特徴をユダヤ人と共有しなかったことをのちに後悔した。」
(p.254)


「バルメン告白は教会と国家の対決と政治的抑圧の領域におけるひな型的な信仰の宣言であり続けている。その告白は南アフリカでのアパルトヘイトへの反対を示す神学的分岐点となった「カイロス文書」(the Kairos Document)(1985年)にも、アパルトヘイトを非難した「改革派教会世界連盟」や「ルーテル世界連盟」にも影響を及ぼした。
(p.255)


「戦後すぐに、ドイツ福音主義教会会議は、「シュトゥットガルト宣言」(Stuttgarter Schuldbekenntnis、1945年10月)において次のように認めた。「私たちは永年の間、イエス・キリストの御名において、ナチズムという恐ろしい形で現れた霊と戦ってきた。しかし、私たちはもっと大胆に告白せず、もっと真実に祈らず、もっと喜んで信じず、もっと激しく愛さなかったことに対して、自らを非難する」。
(p.256-257)


●資本主義か共産主義か(ダレス vs. フロマートカ)
世界教会協議会の第1回総会(1948年、アムステルダム)で、ジョン・フォスター・ダレス(アメリカの長老派の代議員でのちに合衆国国務長官になった)は共産主義を世界平和への最大の障害だと評し、ヨゼフ・フロマートカ(チェコ人神学者)は教会と西欧文明が代表してきた多くの社会的趨勢を具現する一勢力として共産主義を共感を持って理解するように訴えた。総会は、どんな文明も神の御言葉の徹底した裁きを免れえないことを主張して、資本主義と共産主義のどちらかが唯一の有効な選択肢だという仮定を明白に否定した。
(p.263)




山我哲雄『キリスト教入門』 [書籍紹介・リスト]

山我哲雄『キリスト教入門』山我哲雄『キリスト教入門』(岩波ジュニア文庫792)、岩波書店、2014年、11+236+6頁、860円+税。



特 徴

・教養書として、ユダヤ教との関係、歴史上のナザレのイエスについて、キリスト教の成立と東西分裂まで、キリスト教の教派について(特に、カトリックと正教会)、そして、宗教改革とプロテスタント教会について。

・聖書入門的なことや、信仰内容、礼拝の形などについては、必要に応じて触れられるだけで、まとまった仕方では述べられていない。

・ユダヤ教との違いを、受け継いだものと受け継がなかったものに分けて端的にまとめているのは、分かりやすい。

・ジュニア向けの本で、しかも「キリスト教」という宗教の入門というタイトルで、 史的イエス研究の観点でのイエス像を語る のは、はたして適切だろうか?

・4~6章で、 東方正教会とローマ・カトリックの相違 を、歴史を踏まえてポイントを押さえることができるのが、この本の大きな特徴。

・英国教会の複雑な成立の経緯を実に簡潔に分かりやすく記しているが、その他のプロテスタント各派の相違はおおざっぱすぎなのはまあ、仕方がないか。



内容紹介

第1章 ユダヤ教とキリスト教

キリスト教がユダヤ教から受け継いだものとして、 唯一神信仰、契約思想、メシア思想、終末論 の四点を挙げる。

キリスト教がユダヤ教から受け継がなかったものとして、選民思想と律法至上主義 の二つを挙げる。


第2章 ナザレのイエス

信仰を持たない一般の人向けの教養書ということで、信仰の立場からではなく、歴史上の人物として「ナザレのイエス」を研究する学問分野があるよということで、その視点でイエスの生涯をたどる。


第3章 キリスト教の成立

イエスの復活と、贖罪としてのイエスの死の理解、罪の観念の変化など、エルサレム初代教会の成立、パウロの回心と信仰義認論、異邦人伝道など。


第4章 キリスト教の発展――キリスト教の西と東――

ローマによるキリスト教迫害と公認の歴史、キリスト論や三位一体論の発展と公会議、ローマ帝国の東西分裂後、東と西のそれぞれで発展したことによる東方教会と西方教会の相違など。


第5章 ローマ・カトリック教会

ローマ・カトリックのヒエラルキー、七つのサクラメント、煉獄、聖母マリア崇敬、守護聖人、修道会などの特徴、第二バチカン公会議、日本伝来と影響など。


第6章 東方正教会

東方正教会の組織と現況、神品(聖職位階制度)、七つの機密、正教会独特の用語や特徴、ロシア革命からベルリンの壁崩壊とロシア正教、日本の正教会についてなど。


第7章 宗教改革とプロテスタント教会

ルターと宗教改革の三大原理(聖書のみ、信仰のみ、万人祭司説)、ルター派の現在、スイス、フランスの宗教改革、長老制、予定説と資本主義の成立の関係、英国教会成立の経緯と世界各地の聖公会、ピューリタン諸派(長老派、会衆派、バプテスト派、クエーカー派)、ピューリタン革命、ジョン・ウェスレーとメソジスト教会、救世軍、その他、日本のプロテスタント教会(横浜バンド・熊本バンド・札幌バンドから日本基督教団の現在まで)。


おわりに キリスト教と現代

ファンダメンタリズムと福音派、聖霊派(ペンテコステ派)、キリスト教系の新宗教(モルモン教、エホバの証人、統一教会)、エキュメニズム運動など。



Nettletonきょうまで守られ [音楽]

聖歌292「きょうまでまもられ」として知られている歌について。

しばらく前の葬儀で、故人の愛唱賛美歌ということで歌った。

この聖歌の曲と歌詞について、ちょっと込み入ったところがあったので、まとめておく。


1.曲について

曲は、Asahel Nettleton作曲のチューンネームNETTLETON(1825年)として知られている。

ところが、『新生讃美歌』(日本バプテスト連盟、2009)の563番には、
Wyeth's Repository of Sacred Music, Part Second, 1813

とある。いったいこれは何だろうか?


http://www.hymnary.org/tune/nettletonによると、

From William J. Reynolds, Companion to Baptist Hymnal (1976): "Nettleton first appeared as a two-part tune in John Wyeth's Repository of Sacred Music, Part Second (1813, p. 112), where it was named Hallelujah. In the Index it is identified as a new tune, and no composer's name is given. The tune has been attributed to some to Asahel Nettleton (1783-1844), a well-known evangelist of the early nineteenth century, who compiled Village Hymns (1825). However, this compilation contained no music, and there is no evidence that Nettleton wrote any tunes during his life . . . It is not known where the tune name first appeared or who was responsible for it." (pp. 53-54)

The Hymnal Companion to the Lutheran Book of Worship (1981) also notes George Pullen Jackson's observation that the tune is "one of a group related to the folk melody 'Go tell Aunt Tabby (Aunt Rhody, Aunt Nancy, etc.) her old grey goose is dead.'" (p. 519)


というわけで、このメロディーは、1813年にJohn Wyethが編纂した"Repository of Sacred Music"というものの中に、作曲者名が記されずに掲載されたのが最初のようだ。

その後、1825年にAsahel Nettleton編纂の"Village Hymns"に登場する。ところが、この讃美歌集は詞のみであるので、いつからこのメロディがNettletonと呼ばれるようになったは不明ということのようだ。


2.原詞について

原詞は英語で書かれ、Robert Robinsonによる"Come, Thou Fount of Every Blessing"(1758年)。

http://www.hymnary.org/text/come_thou_fount_of_every_blessingによると、この詞について、

In 1752, a young Robert Robinson attended an evangelical meeting to heckle the believers and make fun of the proceedings. Instead, he listened in awe to the words of the great preacher George Whitefield, and in 1755, at the age of twenty, Robinson responded to the call he felt three years earlier and became a Christian. Another three years later, when preparing a sermon for his church in Norfolk, England, he penned the words that have become one of the church’s most-loved hymns: “Come, thou fount of every blessing, tune my heart to sing thy grace.”


歌詞は、いくつか細かな相違のあるものが出回っている。

The original hymn includes five verses, but most modern versions use only the first three. There are a few common word changes in different versions. In some texts, instead of “Here I find my greatest treasure,” (Psalter Hymnal) the first line of verse two reads “Here I raise mine Ebenezer,” a reference to 1 Samuel 7:12, in which Samuel sets up a stone and names it Ebenezer meaning “The Lord has helped us” (Episcopal Hymnal, Presbyterian Hymnal, Baptist Hymnal, Methodist Hymnal). As well, the last line of the second stanza can be read “Interposed his precious blood” or “bought me with his precious blood.” The two verbs signify different metaphors of the atonement of Christ.



3.日本語詞について

(1)『聖歌』(1958年)と『聖歌 総合版』(2002年)

『聖歌』273「いのちのいずみに」は中田羽後訳。これは『聖歌 総合版』の250。

『聖歌』292「きょうまでまもられ」は笹尾鉄三郎の作詞(1897年)(訳詞ではない)。これは『聖歌 総合版』の273。

というわけで、中田羽後による訳詞のものと、笹尾鉄三郎が詞を付けたものとがある。

しかも、273という番号が『聖歌』と『聖歌 総合版』でかぶっており、ややこしい。


(2)その他の讃美歌集

『新聖歌』(2001年)は、笹尾鉄三郎の「きょうまでまもられ」のみを採用、171番。

『新生讃美歌』(2003年)563「すべての恵みの」は、©2003日本バプテスト連盟 の新たな訳詞。

『教会福音讃美歌』(2012年)には収録されていない。


SDAの『希望の讃美歌』にもあるそうだが、持っていないので不明。


4.YouTubeで聞く"Come, Thou Fount of Every Blessing"厳選3つ

CCMの大御所Amy Grantの2002年のアルバム"Legacy...Hymns & Faith"に入っているもの

モルモンのヒスパニック系三人姉妹のグループElenyiとピアノ

アメリカのCCMシンガー、フェルナンド・オルテガFernando Ortega



マルティン・ルター(岩波新書) [読書メモ]

徳善義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』.JPG徳善義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』(岩波新書1372)、岩波書店、2012年、183頁、720円+税。

これまでは、日本人による、簡便で、読みやすく確かな評伝は、清水書院の人と思想シリーズの『ルター』しかなかったが、ついに、現代の日本におけるルター研究の第一人者によるルター評伝の決定版が出た。



読んでみて、わたしなりのメモ。

「神の義」における「行為者の属格」用法
「神は「義(正しさ)」を、イエス・キリストというかたちで、罪深き人間への「贈り物」として与える。その結果、「義」はそれを贈られた人間の所有するものとなり、人間は救われる。」
(p.39-40)


十字架の神学
「ハイデルベルク討論」(1518年)において掲げられた「神学的命題は、次の四つをもってルターの「十字架の神学」の核心を示している点で重要である。
一、律法とそれにもとづく人間の行いによっては、人間は救われないこと。
二、罪に墜ちた後の人間の自由意志とは名ばかりであって、これによるかぎり、人間は罪を犯すほかはないこと。
三、神の恵みを得るには、人間は自己自身に徹底的に絶望するしかないこと。
四、神の救いの啓示は、キリストの十字架によってのみ与えられること。」
(p.59-60)


悔い改めと福音
「イエスが「悔い改めなさい」と言ったのは、自分たち人間に日々時々刻々、悔い改めを望んでいるからだ・・・。心の中の本当の悔い改めがなければ、どれほど一生懸命に罪の償いを果たしても無駄である。・・・教会の行いは、ただ神の御心にのみ添うものであって、人間の我欲や利得とは一切関わりをもたないもののはずである。「教会の宝」とはひとえに、聖書の中に示されるイエス・キリストのことばと働き、すなわち福音ではないのか。」
(p.67-68)


破門の大教勅
1521年1月3日、
「教皇からついに破門の大教勅が発せられた。この破門の大教勅は、二一世紀の現代に至るも、いまだ解かれていない。」
(p.83)


ヨーロッパの近代とルター
「ヨーロッパの近代は、思想的には、個人の人格、主体性、信念や信条を尊重することを基本に発展したが、ルターのこの発言〔1521年のウォルムス議会での喚問に対する答え〕はその先駆けとなった・・・。」
(p.85)


「大胆に罪を犯しなさい」の文脈
〔メランヒトンへの手紙の中で〕
「あなたが恵みの説教者であれば、作り物の恵みではなく、本物の恵みを説教しなさい。もしそれが本物の恵みであれば、作り物の罪ではなく本物の罪を負いなさい。神は作り物の罪人を救われはしない。罪人でありなさい。大胆に罪を犯しなさい。しかし、もっと大胆にキリストを信じ、喜びなさい。」
 ともすると、「大胆に罪を犯しなさい」という言葉だけが独り歩きし、誤解されることがあるが、これは決して罪を犯すことを奨めているわけではない。私たち人間は罪を犯さざるをえない存在である。それは認めなくてはならない。しかし、それ以上に、キリストが共にいることの救いに感謝すべきであるという趣旨を言っている。」
(p.94)


民衆の魂の救いのために
「九五箇条の提題でルターが聖職者や神学者たちに問いかけ、訴えようとしていたことは、単なる教会批判ではなく、民衆の魂の救いのためには何が必要かということであった。」
(p.68)

「ルターが指摘し、批判したのは、教会組織や聖職者たちの堕落や腐敗そのものではない。・・・ルターは教会の教えが民衆を誤った信仰に導いていることに強い憤りを感じていた。」
(p.121-122)


リフォームではなくリフォーメイション
「リフォーメイションを日本語にするならば、やや生硬な表現だが、「再形成化」という言葉がふさわしいのではないか・・・。すなわち、それまでキリスト教的一体世界であった西欧が、ルターの始めた運動をきっかけにして細分化し、キリスト教世界であることに変わりないものの、従来のあり方とはまったく別の、多様なキリスト教世界に再形成された、ということである。」
(p.116-117)

「ルターの宗教改革が、たんに教会の堕落を正すのを目的としていたなら、それは文字どおり「改革(リフォーム)」であり、「リフォーメイション」と呼ばれることはなかったであろう。それが「改革」を超えて、歴史を画するものにまでなったのは、人びとの信仰のあり方を根本的に変えるものだったからである。ルターが、あらゆる苦難と困難を乗り越えて成し遂げようとしていたのは、人びとの魂を支える「信仰の再形成」だったのである。」
(p.122)


ルターは歴史上はじめて賛美歌を作った
「礼拝改革を進めるなか、ドイツ語による説教につづいてルターが導入したいと考えたのは、民衆が歌うドイツ語の賛美歌であった。中世の伝統的な聖歌ではやはり、もっぱらラテン語が使われていた。礼拝に際して歌う典礼歌や教会賛歌は形式が厳格に整えられ、教会に所属する音楽家や聖歌隊が歌うものであった。・・・ルターはそれを改め、普段つかうドイツ語で歌うことを通して、民衆を礼拝に参加させようと試みた。」
(p.141)

「民衆が歌う賛美歌は、やがて「コラール」と呼ばれるようになっていった。」
(p.143)