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「折々のことば」653 [その他]

「折々のことば」653(鷲田清一、『朝日新聞』2017年1月31日)は、前田護郎訳「新約聖書」からローマ書の一節の紹介。
http://www.asahi.com/articles/ASK1W4CJXK1WUCVL00S.html

「折々のことば」には聖書中の箇所が記されていなかったが、8章24節後半~25節である。

新共同訳だと、
「見えるものに対する希望は希望ではありません。・・・わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」



前田護郎訳の新約

1.前田護郎責任編集、『世界の名著12 聖書』、中央公論社、1968年。
中沢洽樹による「旧約聖書」(部分訳)と前田護郎による「新約聖書」(部分訳)

中沢洽樹による部分訳「旧約聖書」は、創世記、出エジプト記、イザヤ書、伝道の書。
(ただし、創世記は20章、25:1~6、26:1~33などを欠く。
出エジプト記は3:18~22、4:8~9,21~23、35:1~40:33などを欠く。
イザヤ書は5:25を10:4と5の間へ移す他、4:2~6、5:26~30、7:18~25、8:19~9:1aなどを欠く。
伝道の書は7:1~14,19~22などを欠く。)

前田護郎による部分訳「新約聖書」は、ネストレ25版(1963年)を定本とし、
 マタイ福音書
 マルコ福音書
 ルカ福音書
 ヨハネ福音書
 ローマ書
 ピレモン書
の6書のみ。

後に、『世界の名著13 聖書』(中公バックス)、1978年。

1968年版で12巻目だったのが中公バックスで13巻目になった。それは、続編として出た「中国の科学」が中公バックス化に当たって12巻目に入れられたため。

2.新約の全訳が、中央公論社、1983年。

3.中央公論社版(1983年)が後に『前田護郎選集 別巻』として復刊。教文館、2009年。


前田護郎訳に対する批判

簡単に見つかるのは、
川村輝典「「聖書の翻訳」の検討 前田護郎編「聖書」(世界の名著12) 新約聖書(四福音書、ローマ、ピレモン)の批判」、日本キリスト教学会編『日本の神学』No.8、1969年、pp.20-27。


まあ今となっては、前田護郎訳は、特に参照すべき訳ではない。


関連する聖書箇所

ヘブライ11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

2コリント4:18「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。・・・」

ヨハネ20:29「・・・見ないのに信じる人は、幸いである。」
など。


星の王子さま

サン=テグジュペリの『星の王子さま』(Le Petit Prince)の中の有名な言葉は、
仏:Le plus important est invisible.
英:What is essencial is invisible to the eye.
内藤濯訳:「かんじんなことは、目には見えない。」
(『星の王子さま オリジナル版』、岩波書店、2000年、p.103。)


宮田光雄

「こころで見ることを知った≪子ども≫の目とは、信仰の目のことでしょう。神にたいする信頼において人間の不安や恐れに打ちかったもの、それゆえに、素直にこころの真実と優しさとにたいして感受性をもつ人は≪子ども≫です。自分の人生を父なる神の愛に全面的に委ねて生きることのできる人は≪神の子≫なのです。」

(宮田光雄、『大切なものは目に見えない――『星の王子さま』を読む』(岩波ブックレットNo.387)、岩波書店、1995年、p.48。)


ついでに、『星の王子さま』に出てくる砂漠や泉などについて、
「夜や砂漠、渇きや泉など『星の王子さま』に出てくるさまざまの象徴は、サン=テグジュペリの生い立ちに影響をあたえたキリスト教的背景なしには理解できないものです。この物語を語る作者の想像力は、これらの象徴の喚起する聖書的な追憶に深く養われたものだ、と言われています。」

(宮田光雄、同書、pp.35-36。)


ちなみにここで宮田は文献として、A.ドゥボォー(渡辺義愛訳)『サン=テグジュペリ』ヨルダン社、1973年を挙げている。


なお、宮田光雄の岩波ブックレットの中に、『新約聖書を読む 『放蕩息子』の精神史』(岩波ブックレットNo.337、岩波書店、1994年)がある。
これを紹介したわたしのブログは、「宮田光雄、放蕩息子の精神史」


樋口陽一 朝日新聞夕刊 [その他]

朝日新聞夕刊「人生の贈りもの わたしの半生」コーナー
2016年5月30日~6月10日、憲法学者 樋口陽一

私なりのメモ


井上ひさし『子どもにつたえる日本国憲法』
「ひさし君が2006年に「子どもにつたえる日本国憲法」という本で、こう書いています。国民が主権の憲法は、国民が国の基本的な形を作るために出した、いわば「政府への命令書」。だから国や政府の好き勝手は許されない。「憲法が、国家の暴走を食い止めている」と。」
第1回(2016.5.30)より


最初の話は面白く
「正確な知識で肉付けする作業は、後でいい。教師が生徒に話す「最初の話」は面白くなくてはね。」
第3回(2016.6.1)より


憲法には人間の経験と知が蓄積されている
「憲法の中には、社会のあり方を数百年にわたって試行錯誤してきた、人間の経験と知の蓄積があるんだ。自由や権利といった人間に共通する普遍的な価値を守ることと、各国の多様な文化や伝統を守ること。二つの両立は可能です。」
第8回(2016.6.8)より


憲法押しつけ論に対して
「丸山真男先生は、私の本への返書にこう書いて下さった。「ある一つの文化の発生論と、その普遍性・妥当性を混同する議論が根強いが、キリスト教はほかならぬヨーロッパ世界の外で発生したのです。」つまり文化は、発生地を離れて広がり、定着していくものだと。」
第9回(2016.6.9)より


個と、群れへの連帯
「群れに従えば、いちいち行く先を考えずに済む。しかし群れごと全滅する危険もある。どの個体も、群れに任せずに、自分の思う「正しい方向」を考え続けていれば、全滅を回避できるかも知れない。・・・「連帯を求めて孤立を恐れず」という言葉があったが、私の場合は「あくまで個に徹し、時に連帯も恐れず」なんです。」
第9回(2016.6.9)より


守るためのメンテナンス
「守るためのメンテナンスを怠ってはいけない」
第10回(2016.6.10)より


歴史の凝縮
「人権も、国家も、憲法も、平和も、しょせんは人間が作り出したフィクションです。・・・議論をやめれば、あっけなく消えてしまう。〔しかし〕その幻想は、理想でもある。そして人間の途方もなく長い歴史が凝縮されています。」
第10回(2016.6.10)より


憲法を読み解くために
「憲法には身を守るための様々な「鍵」がありますが、「自分はどう生きたいのか」「何に価値を置くのか」と常に問うていかなければ、なかなか読み解けない。その義務は、自分自身が自分に課すほかない。」
第10回(2016.6.10)より



「神学文献大調査」更新 [その他]

わたしのWebサイト「神学文献大調査」、5年ぶりに更新しました。


夏休みにどこの教会にいくか [その他]

「牧師が休暇をいただいて、日曜日に、家族でどこの教会に行くか」問題について。

教会の敷地内に牧師館があったりすると、休暇の日曜日にうろうろしているところを信徒に見られたくないので、前日から旅行に出たり、朝早く出発したり。

しかし、小さな子どもがいる場合、なかなかそうもいかないこともある。

電車が不便な地域では、車で出かけることになる。

あらかじめ「今度そちらの教会に出席します」などと連絡しちゃうと、「じゃあ、せっかくなので説教を」などと言われて休暇にならなくなっちゃうので、連絡はしない(笑)。


ネットでいろいろ調べて、情報収集する。

1.礼拝開始時刻
これはたいがい、ホームページに書いてあるので安心。

2.こどもの礼拝出席
おとなの礼拝前の教会学校からは行ってられないので、親子室があるか、それとも、普段からおとなと子どもが一緒に礼拝している形式かなどが重要。

でも、そういった情報がホームページに書かれていないことが多い。特に親子室の有無が。

3.駐車場
これも、何台くらい止められるかの情報はほとんどない。
そのため、停めそこなうことのないように、かなり早めに到着するように、出発しなければならない。

4.説教者
せっかく礼拝に行くのだから、その教会の牧師の説教を聞きたいが、そこの教会も牧師が夏休みだったりして、信徒が説教だったりすることがある。

そういう、次の日曜日の礼拝の説教者の情報というのも重要だと感じる。ホームページでというより、ツイッターやフェイスブックで情報発信している教会は、割とそういったリアルタイム性のある情報も得られるかな。

5.教会の規模
少人数の礼拝に子連れで行くと、うちの家族だけやたら目立っちゃう。しかも子どもがぐずったり、走りまわったりして、親としては礼拝に集中できない。
(うちの教会に来ている、小さいお子様を連れた方は、いつもそうなんだなあとつくづく知ることになる)

また、子連れだと、礼拝後に「昼食もご一緒に」とか引き留められると困っちゃうことがある。

知り合いの牧師がいる教会に行くときは別として、夏休みで来ただけで、礼拝だけで失礼したいという場合は、礼拝が終わったらさっと帰りたい。

そのためには、比較的人数の多い教会がいい。

でも、平均の礼拝出席者数をホームページに記している教会は少ないんじゃないかな。


というわけで、まとめると、

教会のホームページやSNSなどに、
・親子室などの有無
・駐車場の情報
・次主日の説教者
・平均の礼拝出席者数
を明記しましょう。



2014年の没後年数など [その他]

2014年の没後年数などに関する記事のまとめなど


2014年は、

  パネンベルク死去(2014.9.5)  →パネンベルクと「歴史の神学」

  梶原寿死去(2014.5.6)  →キング牧師の重要な演説と手紙  →キング牧師の伝記

  カーレ没後50年  →BHK、BHS、BHQ

  フォン・ゾーデン没後100年  →フォン・ゾーデン逝去100年

  蛭沼寿雄生誕100年  →フォン・ゾーデン逝去100年

  アイルトン・セナ没後20年  →アイルトン・セナの墓碑銘


その他、(何か書こうかと思ったけれど、その余裕がなかった)

  辻宣道没後20年

  マックス・ヴェーバー生誕150年

  ジャン・カルヴァン没後450年

  日本基督教団信仰告白制定60年

などであった。


(こういうことをきっかけに、関連の本を読みたい。でも、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読み直す暇はなかった。いや、読み直そうなんて思わなかったけど。。。。。)


私の手帳にメモしてある今年の物故者

  今橋朗 2014.1.27死去 81歳

  まどみちお(本名:石田道雄) 2014.2.28死去 104歳

  井上洋治 2014.3.8死去 86歳

  梶原寿 2014.5.6死去 81歳

  佐古純一郎 2014.5.6死去 95歳

  岩村信二 2014.7.25死去 94歳

  三浦光世 2014.10.30死去 90歳

  ヨゼフ・ピタウ 2014.12.26死去 86歳


このブログの各記事に付けたタグの一覧

フォン・ゾーデン逝去100年 [その他]

Hermann Freiherr von Soden
ヘルマン・フライヘル・フォン・ゾーデン
1852.8.16-1914.1.15

今年は、フォン・ゾーデン逝去100年だ!

ちなみに、フォン・ゾーデンが死んだ年に蛭沼寿雄が生まれている。

ということは、今年は、蛭沼寿雄生誕100年でもある!


フォン・ゾーデンについて紹介した日本語のWebページがほとんどないので、簡単に作ってみた。


■経 歴

ドイツの新約聖書学者、本文(ほんもん)批評家。

アメリカ、オハイオ州シンシナティ生まれのドイツ人。

チュービンゲン大学で学び、
ベルリンのエルサレム教会牧師などを務めた後、
1889年ベルリン大学の新約学私講師(privatdozent)、
1893年ベルリン大学神学員外教授(extraordinary professor of divinity)、
1913年ベルリン大学正教授(ordentlichen Professor)。
ベルリンの地下鉄事故で死去。

息子のハンス・フォン・ゾーデン(Hans von Soden, 1881.11.4-1945.10.2)は教会史家、新約聖書学者。

孫のヴォルフラム・フォン・ゾーデン(Wolfram von Soden, 1908.6.19-1996.10.6)は、古代オリエント学者、アッシリア学者。


■業 績

新約聖書の膨大な数の写本を調査し、ギリシア語の大文字と小文字の写本を区別する新しい表記法を考案した。それは、各写本の年代や内容、形態を表すという画期的なものであったが、あまりにも複雑すぎて、彼の後ほとんど用いられなかった。

福音書の本文の型を、K(コイネー)、H(ヘシキオス)、I(エルサレム)の三つの校訂版に分類した。そして、これら三つの校訂版から、失われた一つの原型にさかのぼれると考え、それをI-H-K(イーハーカー)本文と名付けた。
この考え方は、現在では他の形から派生したとされているコイネー本文型が重視されすぎていたり、全体的に正確性に欠けるなど欠陥が多い。

しかし、彼の業績は広範囲の研究と異常なほどの勤勉によるものであるゆえに「記念されるべき金字塔」であり、「大いなる失敗」とも言われている。


■気になる記事

マタイ18:20の聖句を「あたかも自覚的キリスト者が二~三人集まると、そこにキリストが(あたかも第三の、または第四の兄弟として)来てくださるかのように理解する教会理解が、H・F・フォン・ゾーデンなどによって広められました。」

日本基督教団宣教研究所編、『信仰の手引き――日本基督教団信仰告白・十戒・主の祈りを学ぶ』、日本基督教団出版局、2010年、p.184。

ほんとうか? 少なくともLuzのEKKの当該箇所には言及がないようだ。


■参考文献

B.M.メツガー(橋本滋男訳)、『新約聖書の本文研究』、日本基督教団出版局、1999年、150-153頁。

蛭沼寿雄、『新約本文学史』、山本書店、1987年、190-194頁。

『キリスト教人名辞典』、日本基督教団出版局、1986年、828頁の「ゾーデン,ヘルマン・フォン」などの項。

『キリスト教大事典』(改訂新版)、教文館、1968年、668頁の「ゾーデン」の項。


タグ:神学者

「あまちゃん」名言 [その他]

「あまちゃん」の私的名言

・記録しておかずにはいられない。
・小ネタがらみではなく、人生訓のような言葉。
・セリフのとおりではなく、書き言葉に改めた。


飛び込む前にあれこれ考えたって、どうせその通りにはならないのだから、何も考えずに飛び込め。そうすれば何とかなる。
(天野夏)


生きている限り、大事じゃない時期なんて無い。
(天野アキ)


成長しないと怠けてるみたいに言われる。しかし、成長しなければだめなのか。
(天野アキ)
経済成長至上主義への批判?

自然のいいところばかり利用して、自然の怖いところから目を背けて、そのうち忘れてまう。それが人間の傲慢さだ。
(天野夏)
原子力行政への批判?

好きじゃないことや向いてないことを避けて行きていけるほど、今の世の中甘くない。
(黒川正宗)


どんないい原石も、磨かなかったら宝石にはならない。
(小田勉)


普通にやって、普通に売れるものを作れ。
(天野春子)
奇をてらわずに説教を語れということか。

君の代わりは君しかいない。
(水口琢磨)


向いてなくても続けるというのも、才能だ。
(鈴鹿ひろ美)


プロでもない、素人でもない。アマチュアのなせる業(がある)。
(荒巻太一)
プロとアマの対比はこのドラマの重要なポイントだとわたしは思っている。



タグ:言葉のメモ

なだいなだ「賢い国」というスローガン [その他]

なだいなだ、「「賢い国」というスローガン」(「人間、とりあえず主義」No.174)、『ちくま』No.504、2013年3月号、筑摩書房、pp.2-3。


言葉のメモ


「強い国」というスローガンについて
こんなスローガンが受けるのは、国民が時代遅れの大国意識を持っている場合に限る。
強い国を主張する人たちは、たいてい自分が強くなれない人たちだ。自分に対する不満を国に転嫁している。
強い国には、お金で最新鋭の武器をかき集めればなれる。


賢い野党になることの勧め
小選挙区での選挙は、野党が分立していたら、大きい党の思う壺だ。「賢い国」は適当に曖昧であるゆえに、中小の政党を一つにまとめうるスローガンだ。



タグ:言葉のメモ

天野祐吉 [その他]

天野 祐吉(あまの ゆうきち)
コラムニスト
1933年4月27日~2013年10月20日

『朝日新聞』2013年10月23日(水)の「CM天気図――天野祐吉さんを悼む」より

「こぶしを振り上げたような表現は届かない。面白いことを言ってるな、と振り返らせないと」

キリスト教会の中の問題に対する見解とか、信徒に対して言いたいこととか、社会的な問題に関する発言とかについても言えるなあと思ったので、メモしておく。


「やさしい表現と話しかけるようなリズムで、音や声が聞こえてくるような文章を心がけた。読みやすいように視覚にもこだわった。単語はなるべく行をまたがないように、段落の最後は一字以上あけて窮屈にならないようにした。」

段落の最後は数文字以上あけて、段落の切れ目をはっきりさせることは、わたしも心がけているが、単語がなるべく行をまたがないようにということまでは、普通の文章では考えたことがない。1行が10数文字の中では離れ業に近いのではないだろうか。

天野祐吉のブログ「天野祐吉のあんころじい」


この記事と同じように、文化人の死去に際してその人の言葉を取り上げたわたしのブログに
「難しいことをやさしく」――井上ひさし逝去
がある。


新島襄の生誕地の碑 [その他]

雜賀信行『牧師夫人 新島八重』(雜賀編集工房、2012年)によると、新島襄(1843年生まれ)は、安中で生まれたのではなく、安中藩の江戸屋敷で生まれた。

 神保町交差点を南下したところにある学士会館の前(っとこの本には書いてあるが、神保町から行くと、学士会館前にあるのは日本野球発祥の地の記念碑があり、新島襄の碑は学士会館の裏通り沿いという感じ)に「生誕の地」の碑がある。(p.47)

 というわけで、都内に行く機会があったので、写真を撮ってきました。

(クリックすると大きな写真が出ます)
新島襄先生生誕之地碑.jpg

新島襄生誕地記念碑解説看板.jpg



共感と想像力を [その他]

他者の苦しみや悲嘆への共感の欠如、そしてその想像力の欠如が人間としての平和で豊かな未来への生き方を失わせる。

木村利人、「三月十日と3・11の悲嘆を越えて」、『キリスト新聞』第3260号、2013年3月2日の「論壇」より。


「三月十日」とは東京大空襲の日のこと。木村利人がある時、この日にB29に乗って東京に焼夷弾を投下したかつての少年航空兵のひとりに出会ったとき、「上から見た東京の全域には、さまざまな色の、今まで眺めたこともないような物凄く大きな花火が地上で舞っているようで、本当に綺麗で美しかったですよ!」と得々として語られたことを振り返って。


アイルトン・セナの墓碑銘 [その他]

アイルトン・セナ(Ayrton Senna da Silva, 1960.3.21-1994.5.1)

 F1レーサー、ブラジル、ローマ・カトリック教徒

朝日新聞2013年2月19日(火)夕刊 「ニッポン人脈記」スピード!(7)「君がここにいてほしい」

記事の最後に、セナの墓碑銘が紹介されていた。
「何ものも神の愛を私から引き離すことはできない――。」



これは、新約聖書 ローマの信徒への手紙8章39節に基づき、若干言葉を変えた言い方。聖書では「わたしたち」と複数で言っているところを「私」と単数に言い換えている。

新共同訳 ローマ8:39「・・・他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

新改訳 ローマ8:39「・・・そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

口語訳 ローマ8:39「・・・その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」

文語訳(大正改訳) ローマ8:39「・・・此の他の造られたるものも、我らの主キリスト・イエスにある神の愛より、我らを離れしむるを得ざることを。」



セナの墓碑に刻まれた言葉は、ネット上にある多くの写真から判読すると、
"NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS"
これはポルトガル語で、「私を神の愛から引き離すことのできるものは何もない」とか「何も神の愛から私を引き離すことはできない」という意味である。
AMOR(愛)の前のDOは「~から」の意味の前置詞deと男性単数の定冠詞oがくっついて短くなった形。


というわけで、朝日新聞の記事中の「神の愛を私から」は、細かいことを言うならば正確には「神の愛から私を」である。



 セナの死からしばらく経った頃、テレビの「ボキャブラ天国」で、「アイルトン・セナ」を、“いつか「会えるといいな」”と言い換えた作品があったのを、印象深く記憶している。

 神の国が到来する終わりの時が来たら、プロテスタントだカトリックだという区別なく相集って、共に神を誉め讃えるのである。


[追記]
ちなみに、小坂忠の「勝利者」という歌の中にもローマ8:39が使われている。
 →YouTubeの小坂忠&ユーオーディア アンサンブルの演奏



タグ:朝日新聞

最近の新聞記事から(脱原発関連) [その他]

最近の新聞記事から(わたしなりに言葉を整えたところあり)

◆かっこ悪くていい

2012.10.21(日)朝日新聞「ザ・コラム」欄、有田哲文(編集委員)「ドイツの脱原発――ずるくても カッコ悪くても」から

ドイツの脱原発は妥協や裏技で傷だらけ。環境によくない石炭火力発電にいまだに依存しているし、いざとなれば地続きのフランスから原発の電力だって買える。ずるいと言えばずるい。
 しかし、それでも輝きを失わないのは、目標をしっかり決めて計画を立て、一歩一歩進んでいるからだ。背景には原発反対の強い世論がある。そのうえで、ビジネスと折り合いをつけるべく、もがいている。・・・カッコ悪くても前に進んでいる。



◆方向転換のために我慢と応援のエネルギーを

2012.12.8(土)朝日新聞「オピニオン」面、「耕論」テーマは「改めて、原発」の中で、作家の今野敏の言葉から

人間はかたくななもので、自分の生活、記憶、体験、それが一番強く、歴史に学ぼうと思っても、実感がないと、また同じことを繰り返す。太平洋戦争の経験者の方々が皆亡くなったら、また同じことが起こるかもしれない。それは歴史を見れば明らかだ。


これまで推進してきたものを変えるには、ものすごいエネルギーが必要。


日本人の国民性の最大の特徴は、いい国を作ろうという気持ちよりも、名君に治められたいという気持ちが強いこと。自分たちの代表を政界に送り出そうという気持ちが薄い。上の方で変わってくれるだろうと。どこか人任せなんです。



◆政治家と市民が向き合って築いていく社会

2012.12.18(火)朝日新聞「ニッポン人脈記」欄、「民主主義 ここから」第16回から

元物理学者で原発擁護派だったドイツの首相、アンゲラ・メルケルは、福島の原発事故に衝撃を受け、「もはや専門家だけに原発問題を任せておくわけにはいかない」との思いを強め、社会学者や経済人、聖職者など原発の非専門家17人を集めて「安定したエネルギー供給のための倫理委員会」を立ち上げた。


ドイツ技術アカデミー会長、ラインハルト・ヒュッテル「脱原発とは、みんなが参加してそれをやり遂げるという気持ちが必要な社会プロジェクトなのです。」
 政府は一部の専門家だけに頼らず、広い知見を集めて国の進むべき道を探る。国民はデモや選挙で意思表示する。政治家と市民が向き合いながら、互いに当事者として社会をつくっていく。それは民主主義社会だからこそ味わえる魅力の一つだろう。




新聞記事抜き書き [その他]

最近の新聞記事からわたしなりの抜き書き


◆抑圧と適応

2012.8.18(土)朝日新聞b10面「悩みのるつぼ」のコーナー、セクハラに関する質問に対する上野千鶴子の回答の中で

哀しいことに人は抑圧されればされるほどその抑圧に耐えるようになるという、逆境にすら適応する生きものです。


◆愛国心

2012.9.19(水)朝日新聞13頁オピニオン面「耕論」のページ、テーマ「愛国」の中で、新右翼団体「一水会」顧問、鈴木邦男の言葉から

よその国の人も自分の国を愛している。・・・自分の国がすべて、日本だけが素晴らしいという考えは、思い上がった自己愛にすぎません。ただの排外主義です。愛国とは最も遠いものです。  愛は欠点も失敗も認めた上で愛しいと思う心だ・・・。心の痛みが伴わない愛国心は、フィクションにすぎません。


◆カリスマリーダー不要論

2012.10.17(水)朝日新聞13頁オピニオン面インタビュー「リーダー要りますか」、一橋大学イノベーション研究センター教授米倉誠一郎の言葉から

強いリーダー、カリスマのようなリーダーを待望するのは敗北主義。・・・一人のカリスマリーダーで物事が解決できる時代ではない・・・誰か立派な人が現れて、任せてしまえれば簡単。・・・必要なのはカリスマリーダーではなく、プロフェッショナルです。


◆規模の拡大より2店目を

2012.12.8(土)朝日新聞b3面「フロントランナー」のコーナー、西松屋チェーン社長大村禎史(禎の偏は示)の言葉から

年間の売り上げが1店2億5千万円程度の規模になると、利益は出ますが、人件費、家賃、販促費などがかさんでくる傾向があり、2店目を出店するほうが売り上げも利益ものばせます。だから、すいた店に戻すのです。


タグ:朝日新聞

お客様は神様か [その他]

2012年9月6日(木)朝日新聞13頁オピニオン面「耕論」のページ、
スカイマークが示したサービス方針に関連したテーマ「お客様は神様か」の中で、

1.三波春夫の長女、三波美夕紀の言葉から

舞台はまさに真剣勝負。浪曲は多くの役柄を瞬時に演じ分けるため、雑念があると的確に表現できません。「まるで神前に立った時のように、澄み切った心でないと完璧な歌はうたえない。」と話していました。
 つまり、お客様イコール神様ではない。「お客様を神様のように見立て、雑念を払って歌う」という舞台人としての強いプロ意識を表したのが、あの言葉だったのです。



2.スーパーホテル会長、山本梁介の言葉から

私どものコンセプトに対して、ご満足いただけない場合は、別のホテルをご利用くださいと、申し上げています。自分のところのコンセプトに合わない方にはきちんと言う。お客様が勘違いしてこられると、私どもとウィンウィンの関係になりませんから。



3.新潟清陵大学大学院教授、碓井真史の言葉から

飛行機や電車、バスなどの交通サービスは「顧客第一」ではいけません。「安全第一」が正しい姿です。だからこそ、パイロットには悪天候の際、無理をして着陸せずに引き返す権限が与えられています。客が文句を言っても聞きません。・・・サービスする側は基本的に客が求めているものを提供すべきでしょう。しかし、例えば医療や教育においては患者や生徒の言いなりではだめです。


サービス提供者と顧客は互いに協力して、パートナーシップを取り戻す努力が必要です。・・・自分が客となったときは、サービス提供者に「ありがとう」「よろしくお願いします」と一言を言うことから始めませんか。・・・彼らとの人間関係が作れれば、より気持ちのよい対応をしてもらえるはずです。



タグ:朝日新聞

山下達郎と献身 [その他]

 山下達郎「職人でいる覚悟 山下達郎が語る仕事3」、朝日新聞2011年8月21日の全面広告ページ「朝日求人」の「仕事力」のコーナー。

「ロックンロールの場合、ギターコードを三つ知っていれば曲が作れてしまう。でもその程度では100曲は書けません。自分の魂の叫びがいくら強くても、すぐに限界が来るのは冷徹な事実です。音楽表現を長く続けていくためには、継続的な訓練と学習が必要なのです。」


伝道献身者も同じ。

 自分の信仰経験や主に仕える思いの強さだけでは、すぐに限界が来る。生涯にわたって御言葉を語り続けるためには、継続的な訓練と学習が必要である。


神学校便所論 [その他]

「神学校便所論」あるいは「神学校トイレ論」

「神学校は便所のようなところだ。いつまでもいるところではない。」


 左近淑によれば、東京神学大学で教えていた船水衛司の得意な話だった。

 これは、『左近淑著作集 第5巻 講演とエッセイ』(教文館、1993年)の中の「船水衛司先生を送る」という文章にある。


 『FEBC1566』2012年9月号(通巻381号)に、川島隆一の次のような話が掲載されていた。
 「学部が終わって大学院に進む時、当時の学長の竹森〔満佐一〕先生とトイレで隣り合ったものですから「実は私こういう状態で、このままでは続けられないので休学したい」というふうに言ったら先生が「神学校は便所のようなところだ。いつまでもいるところじゃない」って。」


タグ:献身

R・ニーバーの所属教派 [その他]

 ラインホールド・ニーバーの所属教派とその後について。

 ニーバーの父、グスタフ・ニーバーはGerman Evangelical Synod of North Americaの牧師であった。この名称は、1920年代後半にGermanがとれて、Evangelical Synod of North Americaとなる。

 これは、もともと敬虔主義的な傾向をもったルター派と改革派が一緒になった教会で、ルター派のアウグスブルグ信仰告白、小教理問答と改革派のハイデルベルク信仰問答を採用していた。

 ラインホールド・ニーバーもこの教会(教派)の牧師になった。

 大木英夫訳『道徳的人間と非道徳的社会』(現代キリスト教思想叢書8、白水社、1974年)の解説では、「ルター派系(イヴァンジェリカル派)」と記されている。
 鈴木有郷『ラインホルド・ニーバーとアメリカ』(新教出版社、1998年)のp.46あたりでは、「北米ドイツ福音教会」と記されている。


 Evangelical Synod of North Americaは、1934年に、Reformed Church in the United Statesと合同して、Evangelical and Reformed Churchとなった。

 一方、それに先立つ1931年に、National Council of Congregational ChurchesとChristian Churchが合併してCongregational Christian Chrchesになった。

 このCongregational Christian ChurchesとEvangelical and Reformed Churchが1957年に合同して、現在のUnited Church of Christが結成された。


文献は、
Frank S. Mead and Samuel S. Hill (11th Edition Revised by Craig D. Atwood), "Handbook of Denominations in the United States," Abingdon Press, Nashville, 2001.

Scott Holl, "A Brief History of the Evangelical Synod of North America," Eden Theological Seminary, 2008.

United Church of Christのサイトの中のThe German Evangelical Synod

山崎直子、武田清子、ニーバーの言葉 [その他]

 朝日新聞、2012年9月23日(日曜日)の「朝日求人」のページ

 山崎直子が語る仕事 4 「予測できないことも、人生の一部」「抱え込まない勇気」

 さまざまな分野の担当者が集まるプロジェクトでは、担当者それぞれの立場があってお互いに引かないことがある。譲れるところは譲りつつ、必要なところは妥協せずに、解を見つけていかなければならない。もし無理をして妥協したら、その先にミスが起きる。抱え込まない勇気が必要だ。

 というようなことで、引き合いに出されているのが、ラインホールド・ニーバーの言葉。

 これについては、すでにブログに書いていた。 →「ニーバーの祈り」

 ただ、今回引用されているニーバーの言葉は、出典が明確に記されていて、「『義と憐れみ――祈りと説教』梶原寿訳から」と記されている。この本は、新教出版社から1975年に出たもの。


 この「ニーバーの祈り」は、朝日新聞2012年4月28日(土)夕刊の「ニッポン人脈記 あの頃アメリカ」第18回でも、思想史家(しかし、わたしのイメージでは、「家」というよりは「研究者」とか「学者」という方がふさわしいように思う)武田清子の恩師としてラインホルド・ニーバーが紹介された中で、「平静を求める祈り」として引用されている。

 この記事中のエピソードの一つ: 武田清子がオリベット大学で学んだ頃、足袋を見たアメリカ人が「日本人は足の指が2本なのか」と聞いてきた。

 武田清子は、「日米交換船」で帰国。同船者に、鶴見俊輔、鶴見和子(この二人は姉弟)、都留重人(経済学者)がいる。そのあたりの話を詳しく記録したものに、鶴見俊輔、加藤典洋、黒川創、『日米交換船』、新潮社、2006年。

 「この人たちの後の足跡を思えば、アメリカが戦後日本に与えた影響のほどがわかる。・・・〔しかし〕民主主義がアメリカから与えられただけのものとは思わない。大正デモクラシーの下地があった。主導した吉野作造はクリスチャンである。」

 「日本のキリスト教徒は人口の1%を超えたことがない。「1%でも、周辺に影響を与えるだけのものがあればいいのです。その浸透力を持ち得ているかどうか」」が肝要である。

日本脱カルト協会 [その他]

 世界基督教統一神霊協会は、略称を「統一教会」とし、一般にもこの略称が用いられているが、この団体を伝統的キリスト教とは異なるとするキリスト教会は、「統一協会」と略している。もっとも、正式名称は「教会」ではなく「協会」なので、「統一協会」の方が正式名称の略称としてふさわしいんじゃないかと言われることもある。

 文鮮明は、世界基督教統一神霊協会では「創始者」とされている。
 彼の死去のことは「聖和」と表現されている。

 さて、文鮮明の死去に際し、日本脱カルト協会(JSCPR)が2012年9月3日付で声明を出した。 →こちら(pdfファイル)

 日本脱カルト協会は、次のような本を出している。
日本脱カルト協会編、『カルトからの脱会と回復のための手引き――<必ず光が見えてくる>本人・家族・相談者が対話を続けるために』、遠見書房、2009年、236頁、1995円。

 この本の編集委員長であった平岡正幸は、2009.2.18死去。
 しかし、いくら編集委員長で理事だったからといって、「逝去」に「ご」を付けなくてもいいんじゃない? >トップページのNews & Topics

チャリティ・ゴスペル・ライブ・レポート [その他]

5月22日に日本基督教団柏教会を会場にチャリティ・ゴスペル・ライブが行われました。

前半はゴスペルシンガーELZAと彼女のクワイアーShines(みんな女性)の出演。
キーボードは中内計、ジャンベにクラッシー
曲目は、
He's Got A Whole World In His Hand
God Is A Wonder To My Soul
Hallelujah Amen(ここでだったか、みんなで「エーエエメン!」と歌った)
Total Praise(よく歌われる曲)
Kum Ba Yah(よく知られているアフロアメリカンスピリチュアル。『讃美歌21』の43-3?)
Majesty(おなじみのワーシップソング。それまで普通に会衆席に座っていてスマートフォンでvideoを撮っていたゲストボーカルのZIONが歌い上げた。)
This Little Light Of Mine
Amazing Grace(ここで、Paris Lundonが呼ばれたが、登場してきたのはParisのお母さん??だった!!(笑)。いきなり笑いを取って聴衆をリラックスさせる技はすごい。でも同じ格好をネットで見つけたので、かなり完成されているネタか?)
Freedom(これはELZAのオリジナル曲。なかなかの出来です。)

というわけで、前半はルーツ・ゴスペルに傾倒しているELZAらしい渋めのゴスペルでした。

後半は、Paris Lundon(Londonではありません。uです。)とそのお弟子さんたちによるクワイアSOLⅡSOL(みんな女性)。キーボードはDAI。前半とは打って変わって、打ち込みのノリノリサウンド(へー、打ち込みもありなんだーとびっくり)とParisのパワフルでアメイジングなリード。ユーモアもたっぷり。
Jesus Is In This Place
I Can Make It
I Believe I Can Fly
This Is The Day(日本では「この日は主が造られた」のタイトルで知られている)
Man In The Mirror(マイケル・ジャクソンの声まね?もうまい)
Joyful Joyful
Pass It On(Kurt Kaiserのスローな名曲)
No Greater Love
Glory To Glory To Glory To Glory To Glory To Glory To God
Oh Happy Day(言わずと知れた名曲)
最後に、ELZA & Shinesたちも加わって、「上を向いて歩こう」の大合唱。

3時半過ぎに始まって終わったのは6時でした。

何と言っても会場全体を一体化させてしまうParis Lundonの人柄というか賜物とプロフェッショナルなディレクションはすばらしかったです。普通にこういうコンサートに行ったら、何千円もするんじゃないかと思うような、充実したライブでした。

宣伝の期間が2週間しかなかったのが残念だったですね。
それと、十分なPAの設備がない教会の音響では魅力が十分に表現されなかったかも。
しかし、教会でゴスペルを歌うことに意義を見出してくださっていたELZAとParisのパワーの前ではそんなことはどうでもよいことかもね。

東日本大震災のためのチャリティとしての収益の報告は、エルザ・ミュージック・キャラバンのBlogで。

チャリティー・ゴスペル・ライブ [その他]

[イベント]ELZA Presents! 東日本大震災 チャリティー・ゴスペル・ライブ in 柏教会

ゴスペルシンガーELZAのチャリティ・ライブが日本基督(キリスト)教団柏教会を会場として行われます。

2011年 5月22日(日)午後3時会場、3時半開演
入場料金 高校生以上1000円、小中学生500円
Guest Musicianの交通費等の経費を除き、東日本大震災の義援金として送られます。当日会場で募金も呼びかけられます。


※駐車場は余裕がありませんので、民間の駐車場を利用されるか、柏駅から徒歩やバスでお越し下さい。柏駅西口から徒歩約8分。柏西口第一公園(機関車とプールのある公園)の奥です。

ELZAは、黒人音楽のルーツをたどり、そのスピリッツを愛する日本人女性シンガー[カラオケ]です。ELZAのブログELZA MUSIC CARAVAN[目]

ELZAを中心に、クワイアー"SHINES"[晴れ]と、メンフィス出身のアメリカ人シンガーPALIS LundonとそのクワイヤーSOLⅡSOLを加え、総勢15名以上の度迫力[グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)]のゴスペル!

 ルーツ・ゴスペルをはじめ、おなじみのマジェスティ(Jack Hayford)やアメイジング・グレイス(John Newton)も聞けるかも(礼拝堂の音響チェックの時に歌ってた[るんるん])。パーカッションはジャンベだそうだ。楽しみ!!。

イザヤの壁 [その他]

1.イザヤ書2:4に次の言葉がある。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。

2.この言葉は、ミカ書4:4にもある。どちらが先かというよりも、同一の言葉が同時期の二人の預言者の言葉として記されていることが興味深い。

3.この言葉は、ニューヨーク市の国連本部の向かいにあるラルフ・バンチ公園(Ralph Bunche Park)の壁に刻まれている(1番街と42ndストリートが交わる角の北西側)。この壁は「イザヤの壁」(The Isaiah Wall)と呼ばれている。

4.イザヤの壁に刻まれている英文は、次の通り。
“They shall beat their swords into plowshares. And their spears into pruning hooks: Nation shall not lift up sword against nation. Neither shall they learn war any more.”

イザヤの壁1.jpgイザヤの壁2.jpg
(2011.3.1の記事に写真を追加して改訂。写真はSNさんに撮影してきていただきました。SNさん、ありがとうございます。)
タグ:旧約聖書

すべての進歩は混乱から生まれる。 [その他]

朝日新聞2010.11.24(水) 「名-姓か、姓-名か、それが問題だ 江利川春雄さん」

 日本人の名前のローマ字表記を姓-名の順にすべきという主張に関し、長く続いた習慣を変えたら混乱するのではとの問いに対して、
「すべての進歩は混乱から生まれます。既存の秩序が続く限り、新しいものは生まれません。むしろ、混乱を通じて、英語圏の人たちにも引っかかりをもってもらい、世界は多様なんだ、自分たちのやり方だけが世界標準ではないと知ってもらうチャンスにしたいですね」

 我々の礼拝の刷新にも通じる言葉であるなあ。

テルトゥリアヌス「不条理なるが故に、我信ず」 [その他]

1.「不条理なるが故に、我信ず」あるいは「不合理なるが故に、我信ず」(Credo quia absurdum)はテルトゥリアヌスに帰する言葉として伝えられているが、テルトゥリアヌスの著作には直接は見られない。このことはよく知られている。

2.出村彰『中世キリスト教の歴史』日本基督教団出版局、2005、p.202では、一番これと近い表現として "Credibile est, quia ineptum est. Certum est, quia impossibile est." を挙げている。しかし、出典が記されていない。

3.Quasten, "Patrology Vol.2," Spectrum Publishers, 1953, p.320.に、「キリストの肉体について」("De carne Christi")の5章からの引用(英訳)が記されていた。
 "The Son of God was crucified; I am not ashamed because men must needs be ashamed of it. And the Son of God died; it is by all means to be believed, because it is absurd."

4.そこで、ネットで"De carne Christi"の原文を調べると、その5:4に次のような言葉があった。
"crucifixus est dei filius: non pudet, quia pudendum est. et mortuus est dei filius: prorsus credibile est, quia ineptum est. et sepultus resurrexit: certum est, quia impossibile."

出典はThe Latin Libraryの中のCHRISTIAN LATINの中のTertullianusのページ。

ineptusは、愚かしい、不合理な、不条理なといった意味。

5.「キリストの肉体について」("De carne Christi")の邦訳は、教文館の『キリスト教教父著作集』の第15巻に入る予定だが未刊である。

6.その他、この語に関して、The Tertullian Project"De carne Christi"のページの"Other Points of Interest"のところを参照。

(2010.11.27 ラテン語の部分を修正)
タグ:歴史

東神大図書館OPAC、公開開始 [その他]

ついにというか、ようやくというか、いよいよというか、
東神大図書館OPACが2010年9月23日から公開されています。
蔵書検索への直リンク
楽しくなってきたぞ。

朝日新聞GLOBEのリチャード・サイジックの記事 [その他]

朝日新聞GLOBE, No.36 2010.3.22
リチャード・サイジック「オバマを支持する米福音派ロビーの論理」から。

福音派は、いわゆる「宗教右派」と同義語ではない。全人口の25~30%と言われる米福音派のうち、「伝統主義者」は約4割で、政治への関心が強い宗教右派はこの中に含まれる。別の約4割は「中道主義者」で、残りの2割が「近代主義者」といった具合に分けられる。

中東和平についても米福音派の一派であるクリスチャン・シオニストが和平を阻害している面がある。

公共の場から宗教を排除する日本の「政教分離」とは異なり、米国では特定の宗教に法律や政策で特権を与えないという原則が重要だとされている。

など。

ところで、この記事に「神からの言葉」という表現が出てくるが、「神からの言葉」という言い方があるのか? 普通は用語として「神の言葉」(Word of God)と言う。通常、宗教改革以来プロテスタント信仰は聖書を「神の言葉」とする。ただどのような意味で「神の言葉」と言うかににいろいろ相違がある。

また、近現代になって、聖書を神の言葉と見なしていないような考え方が声高く主張されることがあるが、それは「普通のプロテスタント」なんかではない。変質され逸脱した信仰――いや信仰と言うよりも単なる思想か、勝手な思いこみ――であろう。

追記 アメリカの福音派と政治との関係を紹介しているページ:小原克博「アメリカ大統領候補をサポートする宗教保守勢力」

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